Beginners 現代音楽入門 Shoichi's Lab

- ジョン・ケージ 4分33秒が評価される理由 -

ジョン・ケージ 4分33秒が評価される理由のイメージ

 現代音楽は、クラシック音楽からの流れを継承している音楽で、言うならば「クラシック音楽の進化した1つの形」とも言える音楽ですが、その進化の過程において音楽が非常に複雑になってしまい、時に、聴き手によっては“楽曲への理解が全くできない作品”まで世に出るようになってしまいました。

 そんな現代音楽を理解するには、音楽を素直に体の中へと受け入れる気持ちを持ち、楽曲に対して先入観無く何度も聴き込み、耳を慣らす事が最も簡単な方法となります。

 意外な事に、人間の耳の発達速度は楽曲の進化よりも格段に速く、数百年の年月をかけた音楽の進化を、聴き手によっては数日・数時間程度で受け入れられるようになり、楽曲が作り出す世界から、必ず“何かしらの魅力”を見つけ出せるようになります。

 しかし、そんな現代音楽の世界には、何十回、いや、何百回と聴いても、その意味を全く理解する事ができない楽曲が存在します。

 それが、ジョン・ケージが作曲した「4分33秒」です。

ジョン・ケージ 4分33秒とは?

 「4分33秒」は、アメリカの作曲家である『ジョン・ケージ』が作曲し、1952年に初演された「3楽章」から成る楽曲です。

 しかしながら、3楽章から成る「4分33秒」の全楽章は全て“休み”となっており、楽譜は以下のようになっています。

I (第1楽章) TACET (休み)
II (第2楽章) TACET (休み)
III (第3楽章) TACET (休み)

 「TACET(タセット)」とは、音楽用語で「比較的長い間の休み」を意味しますが、それが3楽章全ての楽器の譜面に書き込まれおり、楽譜が意味するところは“休み”だけと言う事になります。

 しかし、「“休み”だけ」と言っても、聴衆を前にして、指揮者は指揮台へと登り、演奏者はしっかりとステージに出て演奏姿勢へと移ります。

 ところが、楽譜に書かれているのは“休み”のみですので、結局、「4分33秒」の間、全く演奏する事無く曲は終了し、指揮者と演奏者は聴衆に対して一礼し、聴衆は「4分33秒」の無音の音楽に対して拍手を送ります。

 これだけ見たら、もう「お笑いのコント」のような楽曲なのですが、この「4分33秒」は世界的に見ても非常に高い評価を受けている楽曲の1つと言えます。

 それはどうしてでしょう? 実は、その理由は大きく分けて2つあります。

第1の理由 音楽に関する新しい概念の創造

複雑な世界へと向かうクラシック音楽

 先ほども少し触れましたが、そもそもクラシック音楽の歴史は、基本的に“新しい曲(現在に近い曲)”になればなるほど、“複雑になる”といった特徴が有ります。

 例えば、「ロマン派」の音楽は、“リズム”、“メロディー”、“ハーモニー”などの音楽的要素で一世代前の音楽である「古典派」の音楽より複雑になり、その流れは、「近代」になると更に加速し、「現代音楽」においては限界点に到達しているような状況となっています。

 なぜ音楽がこのような複雑な道を歩んでしまったのか分かりますか?

 答えは、“過去の偉大な作曲家”と“唯一無二の存在になりたいと言う作曲家達の思い”からです。

 作曲家達は、私も例外無く、過去の偉大な作曲家達への非常に大きな憧れを抱いており、そんな憧れの大作曲家たちと、「いつかは肩を並べてみたい」、「いつかは追い越したい」と思い作曲活動を行っています。

 しかしながら、そんな憧れの大作曲家たちの作品は、既に研ぎ澄まされた域にまで到達しており、その壁は非常に高く完全に完成されてしまっています。

 さらには、苦労に苦労を重ね、大作曲家たちと同等の作品を作ったとしても、それは何処まで行っても“二番煎じ”となり評価を受ける事は無く、永久に大作曲家の影に追いつくどころか、肩を並べることさえできません。

 そこで、作曲家達が取った行動と言うのは、「大作曲家たちとの同じ土俵を避ける」、もしくは、「大作曲家たちの栄光を違った意味で表現する」と言ったものになり、自然と「新しい音楽への追及」へと進んでいきました。

 そして、その流れが加速しながら第二次世界大戦後まで続き、その中で音楽はどんどんと複雑になっていき、最終的には全てがシステマチックに組み立てられ、演奏も演奏家の技量の限界に到達し、音も人間の耳が理解できる限界にまで来てしまいました。

複雑への道からの転機

 当然と言えば当然ですが、「複雑」の反対は「単純」です。

 凄く複雑な音楽を作る流れが主流になると、全く反対の考えが生まれ始め、そして、その考えを提唱する作曲家達が登場してくるようになります。

 その“反対の流れ”の頂点にくるのが、ジョン・ケージの「4分33秒」です。

 「“4分33秒”は果たして音楽と呼べるのか?」、それとも「音が鳴らない以上は音楽では無いのではないか?」、はたまた、「“4分33秒”は好きか?」、それとも「“4分33秒”は嫌いか?」など、色々な考え方があるとは思いますが、そんな事をいくら議論しても全く意味はありません。

 それは、“4分33秒”を語る上で一番大切な事は、この曲の持っている「新しい概念」にこそ価値があるためです。

 現代音楽と持っている特性の1つに「新しい概念の創造」と言うものがあるのですが、例えば、「これまで価値が無いと考えられていたものに対して価値がある事」を証明できたり、「既に有る価値観に対して大きな変化」を与える事が、それに当たります。

 芸術と言うのは、常にそうした「価値の証明」や「価値の変化」が起こった時に新しい作品は生まれてきました。

 つまり、ジョン・ケージが提唱した「4分33秒」の世界は、“最も複雑な音楽”とは対の存在となる“最も単純な音楽”を証明し、その価値を世に伝えたのです。

第2の理由 音楽の圧倒的な決定力

 次に、ジョン・ケージの「4分33秒」が評価される理由として、「音楽の圧倒的な決定力」が挙げられます。

 通常、どのスタイルの音楽もそうですが、1つのスタイルが生まれたならば、その曲の後を追うようにして何曲も作曲され、そして、それをまた受け継ぐようにして作曲家生まれてきます。

 しかし、「4分33秒」は、この曲に続くような曲を作曲する事は不可能で(「0分00秒」“4分33秒”の第2番は発表されている)、たった1曲で1つのスタイルを頂点にまで持っていき、そして終焉させてしまいました。

 このような決定力の強い楽曲は他には無く、もしかすると、この先の将来、数百年、数千年経ったとしても、これほどの作品は世に出てこないのかも知れません。

 これこそが、「4分33秒」が評価される大きな理由の1つです。

ジョン・ケージと現代音楽の世界

 私が作っている「現代音楽」と呼ばれる音楽には、「4分33秒」のように「説明や解説無しでは全く理解できない音楽」があります。

 そのため、「良い音楽に対して説明をする必要なんて無い」と言う“現代音楽の形”に対して否定的な意見も数多く有り、私はその考えについて、現代音楽作曲家ではありますが、その考えも「正しい」と思っています。

 しかし、例えばスポーツが、「ルールを知っていなければ楽しめない」のと同じように、現代音楽の世界でも「楽曲のルール(聴き方)」を知って楽しめるものが有っても良いようにも思っています。

 ジョン・ケージの「4分33秒」のように、もしも、説明無しには全く理解できなかった曲が、説明を受ける事で理解でき楽しめる事ができたなら、音楽が、聴き手が持つ“人生的価値観”に対しても大きな影響を与える瞬間になるかも知れません。

 また、ジョン・ケージは、「無音(音の無い世界)」の音を聴くためにハーバード大学の無響室に入り、その中で、「“自分の神経系が働いている音”と“自分の血液が流れている音”を聴いた」と記しています。

 そして以下のような言葉を残しています。

 『私が死ぬまで音があるだろう。それらの音は私の死後も続くだろう。だから音楽の将来を恐れる必要はない。』

ジョン・ケージ

 こんな偉大な方の音楽である「4分33秒」が評価されないはずはないですよね。

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