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- 海外で活躍する作家シリーズ 山口敏郎展 -

山口敏郎:発行 音楽提供:薮田翔一

山口敏郎展への音源提供

 昨年、「龍野アートプロジェクト2013:時の記憶」で共演した。芸術家:山口敏郎氏と作曲家:薮田翔一の共同作品「はっこう」が、今度は岡山の地に「想像力」を運びます。

日程

 2014年5月3日(土)~5月25日(日)

場所

 瀬戸内市立美術館
 (岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓4911)

イベント概要

 スペインのマドリードに本拠地を置き活躍している芸術家:山口敏郎氏が、2013年に発表した「はっこう」を、岡山県の瀬戸内市立美術館でも展示する事が決定しました。

 もちろん今回の展覧会では、「龍野アートプロジェクト2013:時の記憶」で発表した「はっこう」に対して、山口敏郎氏によるインスピレーションを更に加えた作品を発表する事になりますので、龍野アートプロジェクト2013まで足を運ばれた方も、また新しいアイデアと光と音楽の美しき共演を体験する事になります。

 また、山口敏郎氏の依頼により、薮田翔一が新たに作り上げた「新規音源」とのコラボレーション作品の発表や、イベント最終日には、薮田翔一作曲作品によるコンサートも予定されております。

 山口敏郎氏のホームページ:
 ⇒ http://taotoshiro.exblog.jp/

 参考:
 ⇒ 山口敏郎展を3倍楽しむ方法[瀬戸内市立美術館]
 ⇒ 瀬戸内市立美術館アート&コンサート

山口敏郎展「展覧会によせて」

 「旅は自分の持っていたものを持ち帰る。」と言われるとおり、私も西洋にあり東洋に出会った。

 明治維新とともに印象派絵画は黒田清輝がフランスからもたらされ、それをベースに後進の安井曽太郎によって日本の美術学校教育およびアカデミズムの在り方が決定された。そこでは印象派以前も、キュービズムを含め後期印象派以降の流れも不在であった。私も少年の頃、ゴッホ、セザンヌに憧れ、美大では西洋的デッサンを金科玉条のように土台に据えた美術教育の洗礼を受けた。

山口敏郎氏とアート

 その後疑問をもった私は、32年前に、私は印象派以前の西洋絵画を研究するためスペインに渡った。古典技法の習得に約5年間、プラド美術館に通い模写を続け、かたわらアルタミラの洞窟絵画から現代まで続く美術の歴史を検証しなおした。

 結果「古典の歴史は前衛の歴史である。」という結論に至り、コンテンポラリー・アートに足を踏み入れていくことになる。

 その後、色々な国で展覧会を開催し、多くの人たちと交流するにつれ、どうしても自分が生まれ育った東洋と現在人生の半分以上過ごしている西洋との文化の違いに突き当たってきた。それが同時にコピーの寄せ集めではなく本当のオリジナリティーにはどの様にしてたどり着けるのか、創造性の発露はどこに求めるのかを真剣に考え始める契機になった。

 ルネッサンス以降、西洋の絵画は科学の一部として発達してきている。それは三次元の世界を二次元の平面に置き換えるという目的があり、如何に自然を分析しコントロールするかが主題であった。そのためランダムな要素は極力排除された。

 一方、東洋では絵を描くことは自然と一体となることであった。あえてコントロールしにくいランダムな効果が生まれる筆や滲む墨と紙を使う。それは描く時の心の動きが鏡のように紙の上に写しだされるからだろう。描くこと自体が、心を反映させて自然と遊ぶ経験であり、自然そのものとの共生体験であった。言葉をかえれば、描くことは心の所在を確かめる方法、つまり「内観」であった。

 1950年代にアメリカでポロックたちの登場とともに現代美術の幕が開く。

 ポロックのとった方法は、西洋美術の歴史へのアメリカン・インディアンの「砂絵」からインスピレーションを受けた東洋の「内観」という未知なコンセプトの流入ではなかったか?

 しかしそれが正当に理解され美術史に受け入れられたのかは疑問である。

 また仏教の無常観からくる「はかなさ」および「空」と言う観念もそれまでの西洋美術が目指してきた「恒常性」という確固とした目的性を揺るがすものとして対峙する。

 現在、東洋と西洋がクロスオーバーして、一見融合しているように思われるが実際この二つの壁を乗り越えるのは容易でない。凡人の私はやっとそれに気付くだけで30年掛かったと言えよう。

 今回の展示では、最近20年の作品の展示となり、テーマを「花」に託して、西洋から東洋へと関心が広がっていく自分の心の変遷と重ね合わせてみた。

山口敏郎

- 芸術家 山口敏郎氏について -

 山口敏郎氏は、岡山県生まれのスペイン(マドリード)に拠点を構える芸術家で、1982年23歳でマドリードへの移住、その後、30年以上に渡り様々な作品を制作し、海外でも高い評価を受け活躍されています。

 山口敏郎氏のアートは、2010年の画廊で山口氏本人が

 「影は光を求める」というより「影は光の存在を証明」する。その影が強いほど、それによって作られる光は強い。

 アートスペース油亀企画展より

 と、コメントしているように、陰影のコントラストが際立つ作品を数多く制作しています。

「奇抜なアイデア」と「空間全体に対する意識」が折り重なってハーモニーを奏でており、「理解が難しい」と言われている現代アート界にあって、「何コレ?面白い!(笑)」と思わず見る物を笑顔にしてしまう作品や、作品自体から「温もり」を感じてしまうものなど、訪れる人の感性を刺激します。

 また、現代アートと言う分野の作品にも関わらず、何処か「故郷」や「歴史」をイメージさせる作風で、「驚き」と「優しさ」の融合を感じます。

山口敏郎氏の芸術感

 山口敏郎は、グアダラハラ・ノートにて、自身の作品を展示するグアダラハラ画廊について語る際、「芸術作品の現状」について以下のように記しています。

 本来、個人の内にある感覚・質といったものを掬い(すくい)上げ、それを丹念にたどっていくことによってのみ、多くの人の心を動かす創造的作品が生まれる筈だ。

 グアダラハラ・ノートより

山口敏郎氏のアート

 これは、時代の流れによって大手企業が芸術分野へと進出した事により、本来、個々が各々の価値観を持って評価すべき芸術が、マーケットと言う大きな意思の元にコントロールされてしまっている現状に対する危機感を語ったものです。

 つまり、感動や喜びと言ったような感情を芸術作品から得る際、それは、その芸術作品を“見た者・体験した者”が意思決定した上で感じているように思えるが、実際は、その芸術から受けた感情は、予め多種多様に用意された選択肢から「選ぶ事」により誘導された感情で、本来の個々が感じた感情では無いかも知れないと言う事です。

 山口氏はグアダラハラ・ノート以下のように締めくくっています。

 みんなありがとう。これからも「商品」は作らないで、ショボくてもいいから手作りの「もの」を作って行こうよ。

 グアダラハラ・ノートより

 山口氏の作品が、何処か温かく、何処か懐かしく感じてしまうのは、お父さんが作った竹馬、お母さんが作った手料理、子供もが書いてくれた似顔絵、そんな世の中に2つと無い、身近な芸術作品こそを“真”としている事にあるのかも知れません。

山口敏郎氏の展覧会歴

2012年
 「フロー展」エリサルデ文化センター(スペイン: バルセロナ)
 「龍野アートプロジェクト2012 刻の記憶 Arts and Memories」(招待出品)(兵庫: たつの市)

2011年
 トロ画廊(スペイン: グラナダ)
 マテリアル画廊(スペイン: マドリード)

2009年
 ラス・ロサス文化センター(スペイン: マドリード)

2008年
 カタルシス画廊(イタリア: トリノ)
 サルガデロス画廊(スペイン: ポンテベドラ)
 ガレリア アーツ&ティー(兵庫: たつの市)
 ギャラリーはしまや(岡山: 倉敷) - 11

2007年
 すどう美術館(神奈川: 小田原) - 08, 10, 11
 アルゴナウタ画廊(イタリア: トリノ)

2005年
 トルモ画廊(スペイン: トレド) - 09

2002年
 スペースSOUL(広島: 福山) - 02-06, 08, 10, 11
 LADSギャラリー(大阪) - 04, 05, 07, 09, 11

2001年
 アートスペース「西蔵」(岡山) - 01−03

1998年
 邑久町立公民館(岡山)
 すどう美術館(東京) - 98, 00, 02, 12

1996年
 マルタ・モール画廊(スペイン: セビージャ)

1995年
 すろおが463(岡山) - 95-98, 00-06

1994年
 デトウルサ画廊(スペイン: マドリード) - 98, 00, 02, 04

1992年
 ギャラリー銀座汲美(東京) - 03, 05, 06

1991年
 トリート文化センター(スペイン: マドリード)

1990年
 ギャラリー37(スペイン: マドリード)  O美術館(東京)

1987年
 セニス画廊(スペイン: マドリード)
 アテネオ市立美術館(メキシコ: グアダラハラ)
 倉敷市立美術館(岡山: 倉敷)

1984年
 グレゴリオ・サンチェス画廊(スペイン: マドリード)

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